50代の私は今、地方の支援学校で子どもたちの支援員として働いている。理学療法士の資格を持ち、JICA海外協力隊として南米で2年を過ごし、フルマラソンを29回完走した。
そんな私の人生の出発点には、ひとつ大きな後悔がある。高3のとき、私はアメリカ南部の大学から入学願書を取り寄せていた。それなのに、好きな人を追いかけて、地元の女子大に進んでしまった。
📌 体験者プロフィール
・年代・性別:50代以上 女性
・関連カテゴリ:進学・学歴の後悔
・体験形態:実体験ベース
・現在の活動:地方の支援学校で支援員として勤務、風水師としても活動
※プライバシー保護のため、個人が特定されない範囲で仮名化・一部詳細を変更しています。
高3で取り寄せた、アメリカ南部の大学の入学願書
私は中学・高校と、学校という場所にどうにも馴染めなかった。
理由ははっきりしている。小学校の3年間をマレーシアで過ごした経験があったから。海外の風通しの良さを知ってしまった私には、日本の閉塞感がしんどく感じられた。
「もう一度、海外に出たい」
その気持ちだけが、当時の私を引っ張っていた。
高3のとき、私はアメリカ南部の大学から入学願書を取り寄せていた。学校の進路相談で熱心に話していたわけでもないし、英語が得意だったわけでもない。とにかく、日本の外に出たかった。
机の上に並べた入学願書を見ながら、ここに行けば人生が変わるかもしれないと、本気でそう思っていた。
好きな人を追って、地元の女子大文学部に進学した
ところが、私は結局その願書に向き合うことなく、地元の私立女子大に進学した。
理由はひとつ。当時好きだった人(女性)が、その女子大の文学系に進むことを決めていたから。
「同じところに行きたい」
その気持ちが、アメリカへの願書を、上から塗り潰してしまった。
進学した女子大は、お世辞にも頭が良い学校とは言えなかった。どちらかというと偏差値は底辺に近い。高校の進路担当の先生は、最後に私にこう言った。
「あそこに落ちるのは、余程、余程のことがないと」
わざわざ「余程」を2回繰り返したのを、今もはっきり覚えている。
費用が安かったこともあって、家族は私の選択をすんなり受け入れた。「女は大学行かなくてもいい」と言われていた、昭和から平成に切り替わる時期。だからこそ、誰も強くは止めなかったのだろう。
入学した文学部の英文学科。英語が好きだったわけじゃない。「海外へ行って暮らしたい」、ただその一点だけで選んだ。今思えば、進学先選びの基本から完全にズレていた。
「東京で芝居したら」と言われた大学時代と、勘当の日
大学では、自分を変えたくてアマチュア劇団に入った。バイトをかけ持ちしながら、なんとか卒業した。
そのころの私は、演劇に取り憑かれていたと思う。劇団の顧問の先生に、こう言われたことがある。
「そんなに好きなのであれば、東京で芝居したら」
今振り返ると、本当にそうすればよかった、と思う。成功したか失敗したかで言えば、圧倒的に後者だっただろう。それでも人間、好きなことをやればいいと、今の私は思う。
地元で仲間とやっていた芝居が、楽しくて仕方なかった。無茶苦茶なスケジュールで、ほぼ寝ずに稽古とバイトを掛け持ちしていた。若さは視野を狭めてしまうけれど、一点集中する突破力だけは、桁違いに突き抜けていたように思う。
卒業後は地元企業の営業職に就職した。それでも本気は芝居のほうにあったから、営業車で昼寝をしているような、自堕落な社員だった。土日祝休みという条件だけで選んだ仕事が、長く続くはずもなかった。
体は素直で、十二指腸潰瘍を患った。仕事を辞めるとき、「芝居をやる」と上司に伝えた。それを父が人づてに聞いて、私は父から勘当されることになった。
そこからは、早朝の新聞配達、引っ越しのバイト。水商売以外は何でもやった。両親が教員だったこともあって、「今は教員免許を取るための勉強をしている」という体にしながら、実際には仕事と芝居を続けた。
支援学校で出会ったT君と、理学療法士への道
そんな私の人生を、ある一人の子どもが変えた。
教育実習先になった支援学校から、講師として声がかかった。「教える」というよりは、生徒の見守りに近い仕事だった。それを4年間続けた。
その学校で出会ったT君のことを、私は一生忘れないと思う。
T君は重度の脳性麻痺で、体は3歳児ほどだった。鼻から経管栄養のチューブを通していた。私が江頭2:50バリの変なダンスをすると、全身で笑ってくれる子だった。
T君が笑ってくれるなら、私は何でもしたいと思った。そう思わせる力が、あの子にはあった。
T君に出会って、私は決めた。こういう子どもたちのリハビリができる人間になりたい、と。
そう決めて、私は理学療法士養成校の夜間部に入学を決める。学費を稼ぎながらの4年間が始まろうとしていた。
そして、入学式の日。T君の訃報が届いた。
笑顔でダンスを見せていた子は、もういなかった。私はその日、ずっと続けていた芝居を辞めた。
34歳で取った国家資格と、ホスピス・相談員時代に学んだこと
理学療法士の勉強は、想像以上に大変だった。それに気付いたのは、入学してからだった。
それでも、一生やる仕事と決めて始めたことに、不足はないと思った。猛勉強の末、私は34歳で国家資格を取った。
最初の就職先は、地方都市のホスピス。子どものリハビリがしたくて学校に入ったのに、現実には需要が少なかった。年齢的にも焦りがあったのもある。
ホスピスでは、患者さんに何かを指導するというより、その方々の生き様を見せてもらったように思う。マラソンが趣味になっていったのもこの時期で、フルマラソンは気がついたら29回走っていた。
その後、芝居仲間と結婚することになって、転職をした。地方の県庁の医療安全相談窓口で、相談員として働く仕事だ。時給は驚くほど安かった。けれど、マラソンが生活の中心になっていた私には、土日祝休みのほうが何より魅力的だった。
相談員という肩書きだが、実態はほぼ愚痴の聞き取りだった。全国を放浪して、きっとどこに行っても受け入れられないだろう人が、たらい回しの末にやってくる「終の場所」のような窓口。今振り返れば、様々な負を受け取ったとは思うけれど、それに見合うだけの正も、いただいたと思っている。
人の話の聞き方、相槌、共感のしかた。「人は基本的に、自分の話を聞いてもらいたいものだ」という習性は、ここで初めて体感した。
任期満了でこの相談員を離れた後、失業保険をもらいながら職業訓練を受けた。たまたま入った風水ショップで風水師としての勉強を始め、今もそれを副業として10年続けている。
ベースは理学療法士。訪問リハビリの仕事を始めて6年。患者さんのお宅にお邪魔する形態は、私の性格にもあっていた。
50歳を超えて飛び込んだ、JICAの南米2年間
訪問リハビリを6年続けていたとき、仕事で大きな失敗をした日があった。
そんな日に限って、私はJICA海外協力隊の宣伝を目にしてしまった。
「やらない後悔より、やる苦労」
気が付けば、私はその言葉に背中を押されていた。
50歳を越えていた。家族や周りには、いろんな反応をされたと思う。それでも、私は申し込んだ。
派遣先は、南米のある国の支援学校だった。2年間、そこで働くことになった。
頭には10円ハゲができた。アメーバー赤痢に3度かかった。それでも、行ってよかったと心から思っている。
10代の高3で「アメリカに行きたい」と願書を取り寄せたあのころから、何十年もかけて、私はやっと別の国の土を踏んだ。
帰国後、南米のあの職場から「また来てほしい」という声がかかっている。やれるかどうかはわからない。けれど、機会があったら、もう一度行こうと思っている。
「やらない後悔よりやる苦労」、進学を振り返って思うこと
50代の今、高3のあの選択をどう思うかと聞かれたら、後悔はある、と答える。
アメリカに行っていたら、もっと違う人生があったのだろうとは思う。同時に、もし好きな人を追いかけていなければ、芝居も、T君も、理学療法士も、JICAもなかったかもしれない。
正直、答えはひとつではない。
ただ、ひとつだけはっきり言えることがある。進学先の選び方として、私のあの判断は決して褒められたものではなかった、ということ。英文学を選んだ理由は「海外に行きたい」だけで、英語そのものが好きだったわけじゃない。学部のことも、将来のことも、何ひとつ考えていなかった。
それでも、人生はやり直しが効くということを、私はその後の30年で身をもって知った。
営業を辞めて勘当されても、34歳から理学療法士を目指しても、50歳でJICAに飛び込んでも、人生は続いていく。
向いているか向いていないかなんて、やってみないとわからない。生きていれば、なんとかなる。
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同じように進路で迷っているあなたへ
もし今、進学先で迷っているなら、ひとつだけ伝えたいことがある。
「好きな人がいるから」「親が安いと言うから」「先生が大丈夫だと言ったから」、それだけの理由で進学先を決めるのは、できれば避けてほしい。あとで「あのとき、どうしてもっと考えなかったんだろう」と思う日が、必ず来る。
ただ、もしその選択をしてしまっても、人生はそこで終わらない。
私は34歳で国家資格を取り、50代で南米に飛び込んだ。年齢を理由に諦めなかったら、案外なんとかなった。
「やらない後悔より、やる苦労」
あのJICAの宣伝の言葉を、今は自分の言葉として持ち歩いている。
進路で迷っているあなたが、自分の選択を信じて踏み出せますように。
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編集部より
編集部より
進学先を、学びたい中身ではなく「海外に出たい」「好きな人と同じ場所」といった別の動機で選んでしまうと、入学後に専攻とのミスマッチが残りやすくなります。18歳の時点で将来の興味がはっきり固まっている人はむしろ少なく、”なんとなくの動機”で学部を決めてしまうのは決して珍しいことではありません。ただ、進路は一度の選択で固定されるものでもなく、社会に出てからの資格取得や学び直し、思い切った転身で何度でも更新できる、というのも同じくらい確かなことです。
困った時の選択肢
【”本当の興味”で選びたい方へ】
進学も仕事も「周りに合わせて」「なんとなく」で選ぶと、後から後悔が残りがちです。自分が本当は何に惹かれているのか、考え方のクセや興味を言葉にしていく自己理解・セルフケアのアプリです。
→ 心のAIパートナー【Awarefy】(自己理解・セルフケアアプリ)
そのほか、状況に合わせて選べる窓口もまとめておきます。
・進路や生き方の迷いを、誰かに話して整理したい
→ オンラインカウンセリング cotree
公的な窓口としては、暮らしや生き方の悩みを無料で相談できる「よりそいホットライン」(0120-279-338)もあります。
進路選びや学び直し、本当にやりたいことの見つけ方をめぐる本は、たくさんあります。気になった一冊を、まず無料で試す方法もあります。
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「本当にやりたいこと」が曖昧なまま進路を決めると、後から迷いが残りがちです。なりたい自分や目標を書き出して整理できるノートは、興味のある方へ一歩を踏み出したい人に選ばれています。

