「中学生が、いったい何をしているんだ」
そう怒鳴られて、頬を張られました。リビングでこっそりネイルを塗っていた、ただそれだけのことで。あの日から私は、祖父のことが嫌いになりました。そしてその「嫌い」を、祖父が亡くなる九十二歳まで、とうとう手放せませんでした。これは、意地を張り続けたまま祖父を見送ってしまった、孫である私の後悔の話です。
- 📌 体験者プロフィール
- 海と山に囲まれた田舎町で、祖父母の家に通った子供時代
- 一人部屋が欲しくて頼んだら、見栄っ張りの祖父が大きな家を建てた
- 亭主関白で、祖母にも優しくなかった祖父
- 平日は祖父の家、土日は母の家。父親代わりの厳しいしつけ
- リビングでネイルを塗っていて、頬を張られた日
- 怒られた反動で、夜に家を抜け出して遊んでいた
- 嫌いだったけれど、部屋も旅行も与えてくれた人
- 高校で母の家に戻り、やがて美容師として家を出た
- 薄給で連休も短く、遠い実家から足が遠のいた
- それでも「ひ孫にうまいものを」とお金を握らせてくれた
- 三年前、海の事故で祖父は突然いなくなった
- ありがとうも言えず、美容師なのに髪も切ってあげられなかった
- いつ人がいなくなるかは、誰にもわからないから
- 編集部より
📌 体験者プロフィール
・年代・性別:女性(祖父との確執が始まったのは中学時代)
・関連カテゴリ:子育て・家族(祖父との関係・死別の後悔)
・体験形態:実体験ベース
・体験時期:祖父との別れは数年前
・家族構成:母はシングルマザー・姉が二人・幼い頃から祖父母の家の近くで育つ
※プライバシー保護のため、個人が特定されない範囲で仮名化・一部詳細を変更しています。
海と山に囲まれた田舎町で、祖父母の家に通った子供時代
実家のすぐ近くに、祖父母の家がありました。山も海もすぐそばにあって、漁業が盛んな田舎町です。
母は私が小学生の頃からシングルマザーで、私は祖父母の家にお世話になることが多かったです。学校が終わったら祖母の家に行き、母が仕事を終えたら迎えに来る。そんな毎日でした。
私には姉が二人いて、実家には自分の部屋がありませんでした。狭い家で三姉妹、というだけのことなのですが、子供の私にはそれがけっこう大きなことだったのだと思います。
一人部屋が欲しくて頼んだら、見栄っ張りの祖父が大きな家を建てた
中学にあがる頃、祖父の家が建て替えることになりました。
どうしても一人部屋が欲しくて、私は祖父に「お部屋を作ってほしい」とお願いしました。すると見栄っ張りな祖父は、なんと六部屋もある大きな家を建てたのです。住むのは祖父と祖母と私の三人だけ。どう考えても大きすぎる家でした。
商売をやっていたので、お客さんをいつでもおもてなしできる家にしたかったみたいです。私の一言がきっかけだったはずなのに、気づけば話はどんどん大きくなっていました。
亭主関白で、祖母にも優しくなかった祖父
祖父は、絵に描いたような亭主関白でした。
男は稼いで仕事をするもの、家のことは祖母に投げっぱなし。家ではいつもお酒を飲んでいて、家事をしている姿なんて一度も見たことがありませんでした。祖母にもけっして優しくはなくて、祖母はそれでも逆らわずに祖父にしたがっていました。
でも子供心に、祖母も本当は祖父のことが嫌いだったんじゃないかな、と思っていました。口には出しませんでしたけど。
平日は祖父の家、土日は母の家。父親代わりの厳しいしつけ
大きな家には部屋がたくさんあったので、その一つを私にあてがってくれました。中学からは、平日は祖父の家、土日は母の家、というサイクルで過ごすようになりました。
母の職場も家も近くて、何かあったらすぐ来てくれましたし、毎日顔を見に来てくれていました。思春期まっただ中で母にべったりというわけでもなかったので、一日に一度顔が見られれば、私はそんなにさみしくなかったです。
もともと父がいなかったので、祖父は自分が父親代わりだと思ってしつけてくれていたのかもしれません。とにかく厳しい人で、昔のことですし、ひっぱたかれたこともありました。
リビングでネイルを塗っていて、頬を張られた日
あれは、リビングでネイルを塗っていたときのことでした。
換気もせずに爪に塗っていたので、部屋に匂いがこもっていました。なにせ昭和一桁生まれの祖父です。それを見つけて、「中学生がいったい何をしているんだ!」と、ものすごい剣幕で怒りました。こんなことは社会人になってからやれ、と。
私のほうも、ネイルをしているだけでそこまで激怒される筋合いはないと思って、つい逆ギレしてしまいました。そうしたら、頬をビンタされたのです。あの感触は、今でもはっきり覚えています。
この出来事から、私は祖父のことが嫌いになりました。そしてその気持ちは、祖父が亡くなる九十二歳まで、ずっと消えませんでした。たった一度のネイルが、と思うかもしれません。でも思春期の私にとっては、それくらい大きな出来事でした。
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怒られた反動で、夜に家を抜け出して遊んでいた
夜にお泊まり会をしようとしても怒られました。とにかく、いろんなことで怒られました。
その反動で、私は夜に家を抜け出しては夜遊びをするようになりました。怒られれば怒られるほど、こっそり外に出ていく。今思えば、本当に生意気な孫でした。祖父からすれば、心配で厳しくしていただけなのかもしれないのに、当時の私にはそれが伝わりませんでした。
嫌いだったけれど、部屋も旅行も与えてくれた人
嫌いだ嫌いだと言いながら、祖父は私のために部屋を用意してくれた人でした。
さみしくないようにと、いろんなところへ旅行にも連れて行ってくれました。だから感謝はしていたんです。社会人になって、子供が生まれてからは、前よりは頻繁に会いに連れて行くようにもなりました。「ひ孫が見られるなんて幸せだね」なんて話しながら。
それでも、中学のときのネイルの一件や、それまでの数々の配慮のない言葉が忘れられなくて、私は祖父とうまく会話ができませんでした。優しくしてあげることが、どうしてもできなかったのです。
高校で母の家に戻り、やがて美容師として家を出た
高校にあがる頃、姉が家を出たので、私は母のいる家に戻りました。
高校の間は母のところで過ごし、卒業すると私自身も家を出ました。進んだのは美容師の専門学校です。そのあと、無事に就職もしました。実家を離れて、自分の生活が始まっていきました。
薄給で連休も短く、遠い実家から足が遠のいた
当時の美容師のお給料は、本当に安かったです。
連休も三連休が最大で、遠い実家に帰るにはお金も時間もかかります。だから、なかなか帰れませんでした。姉たちは就職してから、お正月にお年玉を渡したり、祖父母を旅行に連れて行ったりと、きちんと祖父母孝行ができる人たちでした。
私はお給料も少なかったですし、正直なところ、一緒にいても話すこともないし、自分から連れて行ってあげたいとも思えませんでした。今になって、それを書くのは少しつらいのですが、当時はそうだったのです。
それでも「ひ孫にうまいものを」とお金を握らせてくれた
それでも祖父は、私のことをすごく考えてくれていました。
実家に帰るたびに、「ひ孫においしいものを食べさせてやって」と言って、お金を渡してくれるのです。毎回です。ぶっきらぼうで、口を開けば厳しいことしか言わないのに、こうして心配してくれる人でした。
言葉で気持ちを伝えるのが下手な人だったのだと思います。その不器用な優しさに、当時の私はちゃんと気づけていませんでした。
三年前、海の事故で祖父は突然いなくなった
そんな祖父が、三年前に海の事故で亡くなりました。
海藻を取りに行ったときに、滑って転んで溺れてしまったそうです。海や山が近い町だったので、時期になれば山菜を採ったり、あさりを掘ったり、海藻を取ったりするのが祖父の楽しみでした。あまりに急な出来事でした。
奇跡的に発見が早くて、体に変化が現れる前に見つかったそうです。だから最後は、いつもの祖父の顔のままお別れができました。穏やかな顔をしていました。
ありがとうも言えず、美容師なのに髪も切ってあげられなかった
その穏やかな顔を見ながら、後悔が一気に押し寄せてきました。
まだちゃんと、心のこもったありがとうを一度も言っていなかった。なんで海なんかに行っちゃったんだろう。我慢できなかったのかな。足腰も元気で腰も曲がっていなかったから、まだまだ生きられたんじゃないかな。電話も、もっとこまめにすればよかった。遊びに行ったときに、もう少し家の手伝いをしてあげればよかった。
そして気づいたのです。美容師になったのに、私は祖父の髪を一度も切ったことがありませんでした。髪を切ってあげればよかった。たったそれだけのことが、もうできない。祖父の顔を見ながら、涙が出ました。人はいついなくなるかわからないのだと、思い知らされました。
いつ人がいなくなるかは、誰にもわからないから
次に来たときに、と。何かと理由をつけて、私は自分の意地で、祖父と深く関わることを避け続けてきました。
その意地が、いったい何の役に立ったのか。今となっては、自分でもよくわかりません。嫌いだったはずなのに、いなくなってみると、優しくされた記憶ばかりが残っています。
もし、生きているうちにできることがあるのなら、躊躇せずに接してあげてほしい。仲直りのきっかけは、相手が生きている間にしか掴めません。これだけは、同じような思いを抱えている誰かに、伝えておきたいと思いました。
関連記事:父が亡くなった夜に実家を素通りした22歳の後悔|33年経って気づいた親孝行のかたち
編集部より
厳しい身内ほど、亡くなったあとに後悔が深くなる——編集部にも、そう感じる声は少なくありません。この記事の祖父も、叱る一方で部屋を建て、旅行に連れ出し、ひ孫を気遣ってお金を握らせていました。言葉で愛情を伝えるのが苦手な世代ほど、優しさが行動や現金という不器用な形をとりがちです。受け取る側はその時には気づけず、見送ったあとで初めて意味がわかる。だからこそ、和解のきっかけを失った相手への後悔は、長く尾を引くのだと思います。
困った時の選択肢
【伝えられなかった気持ちを、誰かに話して整理したい方へ】
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そのほか、状況に合わせて選べる窓口もまとめておきます。
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公的な窓口としては、厚生労働省「まもろうよこころ」が、つらい気持ちの相談先をまとめて案内しています。
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・聴いてみる
今そばにいてくれる人へ、照れくさくて言えない言葉を手紙にしてみたいとき。上質な一筆箋やレターセットを一つ手元に置いておくのも、いいかもしれません。
