推しがいなければ、私はとっくに壊れていたと思います。
これは、ナイトクラブでナンパされた夫と27歳で結婚し、2度の浮気と2度のリストラに耐えながら、50代の今は推し活だけが心の支えになっている、専業主婦の話です。
経済的に自立できないので、離婚という選択肢は最初から私の手元にありませんでした。
- 📌 体験者プロフィール
- ナイトクラブのナンパで始まった、3年間の付き合い
- 三高と親の評価、それで決めた27歳の結婚
- マイホームと子供、義母の難ありに耐えた日々
- マザコン・モラハラ・束縛、それでも「完璧な人はいない」と思っていた頃
- 息子の中学受験中、夫の携帯を手放さない異変
- 「ジムの洗濯物ないけど」、あっさり白状した夫の言い分
- 実家の親に相談しても「我慢しろ」と言われた日
- 専業主婦の私に選択肢はなく、夫はATMと割り切った40代
- 甥に言われた「浮気は男の甲斐性」、それでも息子の受験は成功した
- 単身赴任先で1年半続いた、2度目の浮気と相手の女からの脅迫
- 子供が大学に進学した頃、また訪れた夫のリストラ
- 老後の不安と「家政婦卒はないの?」という絶望
- コロナ以降、夫も息子も在宅で逃げ場のない日常
- 推し活がなければ生きていけない、それが今の私の真実
- 編集部より
📌 体験者プロフィール
・年代・性別:50代女性
・関連カテゴリ:結婚・離婚
・体験形態:実体験ベース
・体験時期:2010年代前半(40代)の出来事を50代の今振り返る
・家族構成:夫・息子1人(社会人・同居)
※プライバシー保護のため、個人が特定されない範囲で仮名化・一部詳細を変更しています。
ナイトクラブのナンパで始まった、3年間の付き合い
バブルの空気がまだ残っていた頃、私はナイトクラブで遊んでいた女でした。
夫との出会いも、そのナイトクラブです。声をかけられて、なんとなく付き合い始めて、気が付いたら三年経っていました。
恋愛をしていたという感覚は、正直あまり残っていません。気が合えば一緒にいて、用事があれば離れて。三年なんて言うと長く聞こえますが、私の中ではあっという間でした。
それくらいの距離感のまま、私たちは結婚に踏み切ったんです。
三高と親の評価、それで決めた27歳の結婚
結婚を決めた理由は、はっきりしています。
夫はいわゆる三高でした。背が高くて、高学歴で、高収入。
ルックスも、私の友達からも家族親戚からも「イケメン」と言われる顔立ちで、面食いの私にとっては願ったり叶ったりだったんです。子供のことを考えれば、相手のルックスはいいほうがいい。そう思っていました。
そして、決め手は親が両方とも夫を気に入ったこと。
愛? ロマンス? そんなものは正直、二の次でした。条件と親の評価。それで私は27歳の結婚を決めたんです。
今思えば、その時点でもう答えは出ていた気がします。
マイホームと子供、義母の難ありに耐えた日々
結婚生活は、表面的には順調そのものでした。
結婚してすぐにマイホームを購入し、子供も一人ですぐにできました。
問題は義母です。これがもう、物凄い難ありな人で、ここは本当に苦労しました。具体的に何があったかは書きませんが、嫁姑問題の典型を一通り経験した、とだけ言っておきます。
ただ、義母を除けば、それなりに幸せな結婚生活だったと思います。少なくとも、表面的には。
マザコン・モラハラ・束縛、それでも「完璧な人はいない」と思っていた頃
正直に書きます。
夫はマザコンで、すぐにキレて、モラハラで、束縛も強い人でした。
でも、私はあまり気にしていませんでした。三高でイケメンで、親が気に入っている。これだけ条件が揃っているのだから、ちょっとくらいの欠点は仕方ない。我慢や忍耐の必要がない結婚生活なんて、この世にあるわけがない。そう思っていたんです。
結婚に対して、そこまで理想や夢を持っていませんでした。むしろ「現実なんてこんなもの」と達観していたつもりでした。
今振り返ると、その達観こそが、後から自分を苦しめる種だったのかもしれません。
関連記事:結婚相談所で1年交際した夫との結婚を後悔|交際時の優しさが消えた40代女性の話
息子の中学受験中、夫の携帯を手放さない異変
異変が始まったのは、私が40歳になってすぐ。息子は12歳で、私立中学の受験真っ只中でした。
夫が突然、携帯を家の中でも手放さなくなったんです。
充電中ですら、自分の見える場所に置いて、常に画面が見える状態にしている。トイレに行くときも、お風呂に入る前も、必ず携帯を持ち歩く。明らかにおかしい。
その頃から休日出勤が増えました。「ジムに行ってくる」と出かけても、帰ってきたスポーツウェアは汗で濡れていない。タオルも使った形跡がない。一週間に何回も「ジム」に行っているはずなのに、洗濯機に出てくるウェアはほとんど乾いたまま。
「これは、絶対に何かある」
そう確信しながらも、一ヶ月ほど様子を見ました。下手に問い詰めて言い逃れされるより、もう少し決定的な何かを掴んでからの方がいい。そう思ったんです。
息子の受験のサポートに追われる中で、私の頭の半分はずっと、夫の携帯のことでいっぱいでした。
「ジムの洗濯物ないけど」、あっさり白状した夫の言い分
ある日、私はついに聞いてしまいました。
「ジムの洗濯物ないけど、汗かかなかったの?」
たったそれだけです。
それだけだったのに、夫は物凄くうろたえて、なんと、その場であっさり浮気を白状したのです。
私は、思いました。なんなの??? と。
浮気するなら、隠し通せよ。最後まで嘘をつきとおせ。正直に言えばいいってもんじゃないだろう、と。
しかも、夫はすぐに開き直りました。
「お前が子供の受験にかかりきりで、俺をないがしろにしていたから、浮気したんだ」
そして、こう続けたんです。
「離婚するか否かは、お前の判断に任せる」
ますます、なんなの!?でした。
態度はものすごく横柄で、反省している様子は全然ない。むしろ、自分は被害者みたいな顔をしているんです。「俺はお前のせいで浮気させられた」とでも言いたげな表情でした。
私はその場で、もう殴ってやりたいくらいの怒りが込み上げてきました。手は出しませんでしたが、心の中では何度も殴っていました。
実家の親に相談しても「我慢しろ」と言われた日
離婚はしたかった。心の底からしたかったです。
でも、自分一人の判断だけで動く度胸はありませんでした。実家の親に相談したんです。
返ってきたのは、こんな言葉でした。
「時間が解決する。我慢しろ」
それだけでした。
そうか、味方になってはくれないのか。電話を切ったあと、私はそう思いました。
専業主婦の私に選択肢はなく、夫はATMと割り切った40代
そして、現実問題として、離婚は無理でした。
私は専業主婦です。息子は私立の中学受験の真っ只中で、夫の稼ぎがなければ進学先の学費も望めない。家のローンも残っている。
「離婚したい」と「離婚できる」は、まったく別の話だったんです。
私は決めました。もう、子供だけが心のよりどころでいい。夫のことは「ATM」と思って、子供の将来を一番に考えよう、と。
夫を許したわけじゃない。許せていない。でも、ここで離婚すれば息子の進学に響く。40代の私は、そう自分に言い聞かせて生活を続けることにしたんです。
関連記事:「お母さんと結婚するわけじゃない」と軽く考えた27歳の結婚への後悔|50代女性の話
甥に言われた「浮気は男の甲斐性」、それでも息子の受験は成功した
もう一つ、忘れられない言葉があります。
甥にも夫の浮気のことを話したことがあるんです。返ってきたのは、こんな言葉でした。
「浮気は男の甲斐性。モテる男と結婚したから、仕方ない。あんなイケメンと結婚してもらえたのは、ラッキーなんだから」
ラッキー?
私には、味方が一人もいないんだろうか。本気でそう思いました。
それでも、息子の受験だけは何としても成功させたかった。私は自分の悔しさは胸の奥に押し込んで、息子の勉強のサポートに全力を注ぎました。
結果、息子は第一希望の中学に合格して、無事に通い始めました。
私の40代は、自分を殺すことから始まったのです。
単身赴任先で1年半続いた、2度目の浮気と相手の女からの脅迫
でも、夫は変わっていませんでした。
その頃、夫がリストラに遭って、地方へ単身赴任することになりました。そして、なんとその単身赴任先で、あの浮気相手と1年半も関係を続けていたのです。
私には「別れた」と嘘をついていました。あの白状の時にしおらしく謝った姿は、すべて演技だったわけです。
発覚した経緯がまた、本当にひどい。
単身赴任が終わってこちらに戻ってくる直前、相手の女が「離婚して自分と結婚しろ。そうしなければ子供に危害を加える」と夫を脅したんです。
子供に危害?
その言葉を聞いた瞬間、頭の中が真っ白になりました。あんな女と夫が関係を続けていたから、息子が危ない目に遭うかもしれない。冗談じゃない、と思いました。
夫はもう、うろたえて、また私に白状しました。
なに、このクズは。それが、私の正直な気持ちでした。
今度は土下座の平謝りです。床に額をつけて、「絶対に別れる」「もう絶対にしない」と泣きそうな顔で繰り返す姿は、相手の女に飽きたのか、脅されて怖くなったのか、両方なのか。とにかくみっともない姿でした。
一度目の白状の時とは違って、もう怒りも湧きませんでした。冷ややかに見下ろしながら、「ああ、この人はこういう人なんだ」と、どこかで諦めがついた瞬間でもありました。
それでもまた、私立の学費が必要で、夫の稼ぎは必要で。
私は許しました。許すしかなかった、と書く方が正確かもしれません。
子供が大学に進学した頃、また訪れた夫のリストラ
何とか相手の女とは別れることができて、しばらくは元の生活に戻りました。
そうこうしているうちに月日は流れ、子供は大学に進学しました。
「あと少し」、と私は思っていました。子供が独立して、私もパートでも始めて、いつかはこの結婚から距離を置けるかもしれない、と。
でも、その頃にまた、夫がリストラに遭ったんです。
二度目です。
今度はなかなか仕事が見つからず、一年近く転職活動が続きました。子供が大学に入って学費が一番かかる時期に、夫が無職。
本当にもう、なんなの!?でした。
老後の不安と「家政婦卒はないの?」という絶望
なんとか一年後に夫は仕事に復帰できたのですが、その頃には私の貯金はかなり減っていました。
転職活動の一年間、ずっと夫が家にいたのも辛かった。定年退職後って、こんな感じになるのかな。私の自由は、いつ来るんだろう。
主婦卒、妻卒、家政婦卒はないの?
そう、絶望していました。
コロナ以降、夫も息子も在宅で逃げ場のない日常
そして、コロナがやってきました。
夫の仕事はIT系で、コロナ以降は在宅ワークがものすごく増えました。会社に行くのは週に二回だけ。
息子も社会人になったのですが、やはり在宅ワークが多い。しかも、まだ独立していない。
毎日、毎日、私はもう飯炊きばあさん状態です。
朝起きて、二人分の朝食を作って、昼食を作って、夕食を作って。掃除して洗濯して、合間に夫からの細かい指示に応えて。
これが、私の50代です。家の中に、私の居場所はありません。
関連記事:3度の再婚家庭で育った男性が結婚式で味わった後悔|冷めた夫婦関係に今思うこと
推し活がなければ生きていけない、それが今の私の真実
そんな毎日に、光が差したのが推しの存在でした。
正直、推しがいなければ、私はもうとっくに壊れていたと思います。
経済的には自立できないので、夫とは離婚できない。息子は遅かれ早かれ独立する。だから、結婚生活はもう惰性で、経済面のために続けるしかありません。
推し活は、親が遺してくれた遺産で楽しんでいます。それだけが、私が私でいられる時間です。推しのことを考えている瞬間だけは、飯炊きばあさんでも、ATMの妻でもなく、ただの「私」に戻れるんです。
夫はモラハラだから、推し活には理解ゼロです。「いい歳して」「みっともない」と、ことあるごとにバカにしてきます。
でも、もう開き直っています。あんたに認めてもらう必要なんてない、と。
40代の私は、自分を殺すことで日々をやり過ごしていました。50代の私は、推しで自分を取り戻すことで日々をやり過ごしています。
どちらが正解だったかは分かりません。ただ、推しがいる今のほうが、息はしやすくなりました。
結婚は、本当に後悔の連続でした。離婚は、毎日したいと思っています。それでも、今日も惰性で続けています。
正解だったのか、間違いだったのか。50代になった今でも、答えは出ません。
これが、ナンパで出会った三高の夫を選んだ私の、27年の答えです。
編集部より
配偶者の浮気やモラハラに直面しても、専業主婦という立場では「離婚したい」と「離婚できる」が別の問題になってしまいます。子どもの教育費や住宅ローン、自分の老後資金といった現実が、感情だけで動くことを許してくれないからです。今すぐ動くつもりがなくても、自分名義の収入を少しずつ作る、配偶者名義の資産を把握しておくなど、選択肢を持つための準備を早めに始めておくことが、いざというときの自分を守ることにつながります。心がすり減りきってしまう前に、頼れる窓口に気持ちを預けておくことも、同じくらい大切です。
困った時の選択肢
【「いざというとき」の選択肢を持っておきたい方へ】
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推し活が心の支え、という人は少なくありません。大切なコレクションをきれいに保てる収納グッズは、「ただの自分に戻れる時間」を大事にしたい毎日を、そっと支えてくれます。

