正直に言うと、そんなに飼いたかったわけじゃなかったんです。
それなのに、今のいちばんの後悔が、あの小さなハムスターのことだったりする。自分でもうまく説明がつかなくて、思い出すたびに、胸の奥がきゅっとなります。
📌 体験者プロフィール
・年代・性別:30代・男性
・関連カテゴリ:ペットの後悔(子どもの頃のハムスター飼育・接し方への後悔)
・体験形態:実体験ベース
・体験時期:小学生の頃(2000年代)
・当時の状況:クラスで飼っていたハムスターの世話をきっかけに、近所の同級生から一匹を譲り受けて飼育
※プライバシー保護のため、個人が特定されない範囲で仮名化・一部詳細を変更しています。
教室の後ろで、順番に世話をしていた
もともと、ハムスターを飼いたいという気持ちは、そこまで強くありませんでした。
きっかけは、通っていた小学校のクラスです。教室でハムスターを飼っていて、クラスメイトの家で順番に世話をしていく、というルールがあったんですよね。
自分の番が回ってくると、餌をあげて、水を替えて、小さな体をそっと覗き込む。最初は面倒だと思っていたはずなのに、世話をしているうちに、少しずつ気持ちが動いていったんです。
手のひらにのせると、思っていたよりずっと軽くて、あたたかい。その感触を覚えてしまってから、なんとなく、あの生き物のことが気になるようになっていました。
いつのまにか、「自分でも飼いたい」と思っていた
そのうち、自分でも飼ってみたいという気持ちが芽生えてきて。両親に、ぽつりと話したこともあった気がします。
ちょうどその頃、クラスメイトの家でハムスターがたくさん生まれたんです。家が近所だったこともあって、そのうちの一匹を譲ってもらえることになりました。
念願かなって、自分だけのハムスターがうちに来た日。うれしかったのは、たしかに覚えています。ケージを覗いては、小さな体が動くのを、飽きずに眺めていました。
世話は、いつのまにか母に任せていた
ただ、正直に書きます。その世話をきちんとやっていたかというと、胸を張って「やっていた」とは言えないんです。
気づけば、ほとんど母に任せていました。
飼い始めた頃は、新しい家族が増えたような新鮮さと、うれしさが大きかった。でも時間が経って、それが毎日の当たり前になっていくと、気持ちが少しずつ変わっていったんですよね。
餌やりも、掃除も、いつのまにか「やってもらって当たり前」になっていて。あの子がそこにいることに、すっかり慣れてしまっていたんだと思います。
生き物を飼うということが、どういうことなのか。あの頃の自分は、たぶん何もわかっていませんでした。
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2年後、あの子を公園の土に還した
譲ってもらってから、2年くらいが経った頃でした。
あの子は、亡くなりました。
母と一緒に、近所の公園まで行って、埋めました。そのときのことは、大人になった今でも、なぜか鮮明に覚えています。
ただ、正直に書くと、あのとき自分が、そんなに悲しんでいなかったことも、同じくらいはっきり覚えているんです。手を合わせて、土をかけて、それで終わり。涙が出たわけでもなかった。
そのあとも、特に引きずることなく、私は普通に日々を過ごしていました。そうして、気づいたら大人になっていたんです。
20歳を過ぎたある日、後悔がいっきに押し寄せてきた
転機は、突然でした。
20歳を超えたある日、ふと、あの頃飼っていたハムスターのことを思い出したんです。最初は、ただ懐かしい思い出のはずでした。
でも、その懐かしさと一緒に、後悔の気持ちが、いっきに芽生えてきて。
どうして、もっと丁寧に接してあげられなかったんだろう。あんなに世話を母任せにして、自分は何をしていたんだろう。
子供だったから仕方ない。そう思う自分もいます。でも、それでも。生き物を飼っていたのだから、もう少し責任を持つべきだったんじゃないか。そう考えると、いても立ってもいられなくなるんです。
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思い出せるのは、指を噛まれた痛みくらいで
いちばんこたえたのは、あの子との思い出が、ほとんど残っていないことでした。
真剣に向き合っていなかったせいだと思います。楽しかった記憶を手繰り寄せようとしても、すぐに霧のように消えてしまう。
唯一、いちばん鮮明に残っているのが、指を噛まれた記憶なんです。やんちゃな子で、ずいぶん手を焼きました。
でも不思議なもので、今となっては、その痛かったことすら、懐かしくて、愛おしい。
できるなら、あの頃に戻りたい。戻って、もっと愛情を持って、あの子の世話をしたかった。その思いだけが、ずっと消えずに残っています。
あれから、ペットは一度も飼っていません
この後悔は、時間が経っても、癒えることがありません。思い出すたびに、同じ気持ちがこみ上げてきます。
そして、あれ以来、私はペットを飼っていません。たぶん、これから先も飼うことはないと思います。
生き物を飼うということの重さを、あの経験で、痛いほど学んでしまったからです。
ペットにとっての幸せって、いったい何なんだろう。その答えが、どうしても自分の中で見えてこないんです。
ペットの幸せがわからないまま、動画を眺めている
ペットを飼っている人はきっと、その子の幸せを自分なりに想像して、それを叶えようと頑張っているんだと思います。
私だって、飼えば同じように行動するのかもしれない。でも、それはあくまで自分の想像の話で。それがどこまでその子の気持ちに届いているのかは、結局わからないままなんですよね。
言葉が通じない以上、獣医さんの話や、その子の態度や反応から、想像するしかない。それはわかっています。
ただ、ペットのことになると、私はどうしても完璧主義になってしまう。少しでも不安が残ると、「こんな中途半端な気持ちで、無責任なことはできない」と思ってしまうんです。
飼いたい気持ちよりも、あの子を不幸にしてはいけない、という気持ちのほうが勝ってしまう。
だから今の私にできる、ペットとの関わりの精一杯は、動画サイトでペットの動画を眺めて、目を細めることくらいなんです。
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それでも、あの後悔が教えてくれたこと
自分のペットの飼育を、私は今も、大いに後悔しています。それによって、ペットに対する価値観も、大きく変わってしまいました。
でも、後悔したからこそ、得られたものも、ちゃんとあった気がするんです。
生き物の幸福を、きちんと考えて行動できるようになったこと。命というものを、前よりずっと真剣に捉えられるようになったこと。それは、この後悔の中にあった、ささやかな救いなのかもしれません。
ペットにとっての幸せが何か、はっきり言えない以上、他人の飼い方に口を出すことは、たぶんこの先もありません。でも、自分なりのポリシーのようなものは、静かに持っている。これからも、それを抱えて生きていくんだと思います。
そしてこの気持ちは、ペットに限った話じゃないな、とも感じています。
人と接するときにも、同じことを頭のどこかに置いておきたい。相手にとって、少しでも心地いい距離や接し方はなんだろう、と考えられる自分でいたい。
あの小さな命が教えてくれたことを、これからの毎日で、少しずつでも生かしていけたら。今は、そう思っています。
同じように、昔のペットのことを悔やんでいる人へ
世話を怠ってしまった後悔がこれほど長く消えないのは、「愛せなかった」からではなく、「本当はもっと愛せたはずだ」と後から気づいてしまったからだと思います。
だからこの後悔は、あなたが冷たい人間だった証ではなく、命の重さがようやくわかった証なのかもしれません。責める気持ちが強い日は、少しだけ外側から自分を眺める時間があると、心がラクになることがあります。
困った時の選択肢
【長く抱えてきた後悔を、一人で反芻し続けている方へ】
何年も同じ後悔を思い出しては、そのたびに自分を責めてしまう。そんな気持ちの整理は、一人だと堂々巡りになりがちです。AIを相手に、自分の感情を書き出して見つめ直すことから始めてみるのも一つの方法です。
→ 心のAIパートナー【Awarefy】(自己理解・セルフケアアプリ)
そのほか、状況に合わせて選べる窓口もまとめておきます。
・誰かに話して、気持ちを整理したい
・これから、あるいは今ペットと暮らしていて、きちんと知識を持って向き合いたい
→ ペットの知識を学べる通信講座【諒設計アーキテクトラーニング】
公的な窓口としては、厚生労働省「まもろうよ こころ」やよりそいホットラインが、気持ちがつらいときの相談に無料で乗ってくれます。
過去の後悔とどう向き合うかを、静かに言葉にしてくれる本もあります。気になった一冊を、まず無料で試す方法もあります。
・読んでみる
・聴いてみる
そして、消えない後悔や日々の心の動きを書き留めておきたい方には、5年連用日記のような一冊が、静かな支えになってくれることもあります。

